『エール』の時代の作曲家たち① 新興作曲家連盟——パワーと反骨精神

出演させていただきますNHK連続テレビ小説『エール』。毎朝、その時代の出来事が身近にあるように感じ、大作曲家にも僕たちと同じような人間的な悩み、情熱、挫折、希望があるのだと実感します。

何よりも、戦争という出来事は当時の人々に、僕たちが想像を絶するような経験を強い、またそれにより人間が鍛錬されるということもあったのだと思います。現在の状況を考えた時、コロナウィルスによる社会的な混迷により、戦争とはいかないまでも、多くの苦難を僕たちは味わっているのではないでしょうか?

NHK連続テレビ小説『エール』を通じ、過去の苦境の時代に、情熱をもって生きた人間の物語に触れることができることは、今の僕たちにとってとても大事なことだと思います。

先日コム・デ・ギャルソンの川久保玲さんがメディアのインタビューにおいて、こういう状況下でのパワーの大切さを少しでもわかってもらいたいというメッセージを伝えていらっしゃいました。そして、ご自身の創作の根底にあるのは反骨精神であると。

ファッション界で日本と世界をつなぐ仕事をしてこられた川久保さん。

日本の音楽の歴史において、パワーと反骨精神が渦巻いていたのが、古関裕而氏もかかわった新興作曲家連盟とそれを取り巻く作曲家たちであると思います。

新興作曲家連盟は、現在の日本現代音楽協会の前身で、193o年に発足されました。

東京音楽学校(東京芸術大学の前身)とその出身者が先導していたといえる当時の音楽界。そこでなされていたのは、学校教育用の唱歌の創作でした。僕自身、明治以降、唱歌教育を取り入れ実践してきた東京音楽学校の功績を否定するつもりはありません。それを基盤として今僕たちが愛する素晴らしい日本の歌の数々が生まれました。しかし、明治、大正を経て、一般にも西洋音楽を享受できる条件が揃ったその頃、「唱歌、校門を出ず」という言葉もあったように、人々の中で自由で創造的な創作を渇望する状況が生まれていました。

いわば、官学としてのお堅い東京音楽学校の創作への反骨として生まれたのが新興作曲家連盟と言えるのです。

1920年代以降、音楽関係の雑誌メディアも充実し、中央(東京)にいなくても西洋の音楽事情をリアルタイムに近い速度で知ることができる環境が日本に整ってきていました。20世紀初頭のヨーロッパのわくわくするような新しい音楽を、若い作曲家の卵たちは各地において貪るように吸収していました。

古関裕而は1929年に新興作曲家連盟に作品が推挙されるまでは福島を拠点にしていました。コロムビアで歌手としても録音を残している江文也は台湾出身で長野県は上田で幼少期を過ごしましたし、『ゴジラ』の音楽で有名な伊福部昭は北海道、黒澤明監督『羅生門』『七人の侍』等の映画音楽も手掛けた早坂文雄は宮城において、音楽の高等教育を受けずに作曲家としての実力を身につけていきました。

こうした、中央ではないところにルーツを持った若手作曲家たちの周辺性は、それぞれの反骨精神となって、様々な形で創作へと還元されていきます。

古関裕而はリムスキー=コルサコフやストラヴィンスキー、江文也はバルトーク、清瀬保二はフランク、箕作秋吉はシェーンベルク、松平頼則はアレクサンドル・タンスマンやオリヴィエ・メシアン、平尾貴四男はラヴェル….

そこへ至る道や次元は様々ですが、西洋音楽の和声システムを再構築しようと様々な試みをなしていた20世紀初頭ヨーロッパの作曲家の技法を取り入れ、若手邦人作曲家たちは独自の創作を試みます。

新興作曲家連盟という、若手音楽家の集団は、必ずしも一つの創作理念を持っているのではなく、パワーと反骨精神によって束ねられ、それぞれの作曲家たちは荒野を一人切り分けて新たな道を創造していきました。

それだけの熱量のある音楽たち。僕は彼らの放ってきた音楽に底知れぬ魅力を感じます。

数々のヒット曲を持つ古関裕而氏の音楽の背景にも、この時代の作曲家のパワーが宿っているのだと思います。

 

『エール』の時代の作曲家たち② に続く…

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