『エール』の時代の作曲家たち② 江文也と《生蕃四歌曲集》part.1

私が日本の作曲家を勉強するきっかけとなったのは、大学院時代にうけた片山杜秀先生の日本の近代音楽を取り扱った講義でした。 講義を受けたのは2011年。東日本大震災の直後の4月から。皆がこの先の日本はどうなってしまうのだろうと不安を感じていた最中でした。私が関わっていた学生企画のオペラも中止、プロの舞台にも軒並み影響が出ていた状況は、今日の状況とリンクします。 音楽なんて無力じゃないか? 続けていく意味なんてあるのか? そういう思いを抱いていました。 片山先生の講義では、政治や経済など社会の出来事と音楽との関わりを、先生独特の情熱を込めて語って下さり、戦前〜戦後の日本の音楽のあり方の概観を私なりにイメージすることができるようになりました。 その時目の当たりにしたのが、過去の日本を生きた作曲家のエネルギッシュな姿でした。西洋音楽を本格的に取り入れはじめた明治以降の日本は、世界のどの国も経験したことのないスピード感で変動していきます。戦争も大きな出来事でした。日清日露戦争、第一次対戦による特需から第二次対戦の敗戦…。そうした国家的な大きな物語の中で蠢くように音楽家たちは創作しています。 音楽が広く人々に聴いてもらうメディアである以上、社会とその時代の音楽は切っても切り離せません。私はダイナミックな日本の近代史の中にあって、一人一人の作曲家がどのような情熱をもって生きたのかということに興味を持ち、大学院での研究課題として日本人作曲家を取り上げることにしました。 そんな最中、幸運にも奏楽堂モーニングコンサートに出演できることになりました。このコンサートは芸大の先生方やプロの演奏家によって構成される藝大フィルハーモニア管弦楽団との共演を、学生自身の選曲によってすることができるという豪華なもの。 私はすかさず、片山先生に相談をしました。 「邦人作曲家でオーケストラ付声楽作品でバリトンが演奏できる作品はあるでしょうか?」 声楽作品は数多あれど、なかなかバリトン用に書かれたものとなると限られるものです。 片山先生は言われました。 「江文也(こう ぶんや)という作曲家の作品で良いものがある。ご遺族から譲り受けた手書きのスコアだが、もしそれで良ければ少なくとも戦後初演にはなる。」 私は一つ返事で「やります!」と答えました。 いただいた楽譜は、自筆によるスコア。演奏のためにはここからパート譜を作り、音符を精査していかなければなりません。大変な作業です。しかし、今僕が音にしなければ、この作品が演奏されることはいつになるかわかりません。作曲家の友人の力を借り、楽譜の制作を全面的にサポートしてもらいました。 この時の否応なくする事となった楽譜とのにらめっこの経験から、作曲家の汗や苦労や様々な思いを感じとることの意味を実感しました。 指揮の湯浅卓雄先生、オーケストラの皆さん、たくさんの人のサポートのもと、モーニングコンサートでは、江文也《生蛮四歌曲集》、橋本国彦《三つの和讃》のバリトン用オーケストラ付声楽曲の2つの名曲を無事演奏することができました。 次回は簡潔に、江文也《生蕃四歌曲集》のご紹介をさせて頂きたいと思います。 『エール』の時代の作曲家たち③ につづく…

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