田中俊太郎です。

声楽家(バリトン)として歌曲、オペラ、宗教作品、ミュージカル、合唱指導、声楽指導を専門のフィールドとして活動しております。
日本の歌の奥深さ、面白さを伝えてけるよう活動してまいります。

このホームページは、私自身の活動のお知らせや、ちょっとした勉強の成果発表の場として活用していこうと思っております。毎日更新!というような感じはなかなか難しいですが、たまにのぞきに来ていただけると嬉しいです。

FacebookTwitterInstagramも細々とやっています。

 

2021.10.19,21チマローザ《秘密の結婚》終演

チマローザ作曲《秘密の結婚》終演いたしました。
オペラの喜劇の登場人物はイタリア古典即興劇コメディア・デラルテのキャラクターが背景にあったり、声種によっても役作りの方向性に違いがあったりします。
今回、演出の飯塚励生さんや指揮の松下京介さん、島根の大先輩妻屋秀和さん、そして共演者の皆さんからは、そうしたオペラ・ブッファの音楽作り、役作り、舞台作りの楽しさに気づかせていただきました。
タイトな稽古スケジュールでしたが、だからこその勢いで2つの本番を駆け抜けられたように思います。
主催、ジーラソーレミュージック代表の本田さんの行動力にも感服。舞台芸術が厳しい時期にこのエネルギーは宝です✨
皆様に感謝。

2021.9.16 Menicon SUPER CONCERT 歌劇《あしたの瞳〜もうひとつの未来〜》終演

音楽稽古開始から約3ヶ月間の稽古期間を経て《あしたの瞳》、無事終演致しました。
作曲家の宮川彬良さんのレッスンからは言葉以前にある母音、音を音楽にしていく過程に楽しみに気づかせていただき、演出家の岩田逹宗さんの舞台稽古から、歌は他ならぬ人間の肉体を使った身体表現であることに気づかせていただきました。

岩田さんの稽古中に「ようやく日本に本物のオペラが現れたと思っている」という言葉がありましたが、これは全く共感しました。おそらく稽古場にいた誰しもがそれを実感し、本番までのエネルギッシュな毎日を過ごしていたように思います。

ミュージカル作品において、《RENT》は現代のジェンダー、HIVなどの社会問題を訴え、《ミス・サイゴン》ではベトナム戦争で残された人々の真実を描き、《Into the Woods》では東西冷戦を含めた価値観の齟齬、立場による善悪の捉え方をテーマとしました。そうした20世紀的な出来事の真実を世に問うようなメッセージは、確かにオペラがミュージカルに譲ってしまっていることでもあるかもしれません。
古くて素晴らしいもの….ニッチでわかる人にしかわからないもの….いつしかそうなってしまったクラシック音楽の枠を本当の意味でうち破るのはそう簡単ではないのではないでしょうか。
しかし、今回関わらせていただいた作品は力強く、そして楽しく魅力的に新しい可能性を与えてくれていると実感しています。

《あしたの瞳》は、20世紀戦後の日本のものづくりの物語です。
日本が国として経験した敗戦…そこから今日この日に至るまで、どれだけ多くの人の「あした」があったことでしょうか。敗戦から今日に至るまで、たくさんの先人たちが「あした」を実現してきました。
この物語のモチーフであるメニコン創業者の田中恭一氏(劇中では田宮常一)もそうした先人の一人。
主人公常一を通じて語られるのは、何も無くなった焼け野原から、ものを作り時代をつくってきた20世紀日本人の姿です。

時代を物語り、未来に希望を与えてくれるこの作品に関わることができ、とても幸せでした。
全身で向かい合うからこそ見えてくるものがある。僕自身も、このオペラとの関わりから一つの「あした」を与えてもらったような気がしています。

高田三郎と日本の文学・音楽②

前回、中学時代より、『世界文学全集』などで各国の文学に親しみ、殊に近代文学に傾倒していた高田三郎(191320001についてまとめてみました。

今回は、彼がキリスト教と出会い「やまとのささげうた」を作曲した経緯についてまとめてみたいと思います。

【高田三郎のキリスト教音楽】

高田は、カトリック信者であった妻・留奈子の影響もあり1953年にカトリックの洗礼を受けました。

日本のカトリック教会の聖歌は1933年、『公教聖歌集』としてまとめられていましたが、以降改訂の気運が起こり、48年には『公教聖歌集』の増補版が出版され、その後の56年には「聖歌集改訂委員会」が発足。高田はこの改訂委員会に音楽委員をして加わることになりました。「聖歌集改訂委員会」では日本語聖歌の創作が試みられ、ミサ曲の日本語訳を委員会が、そして作曲を高田が担うことになりました。その結果生まれたのが《ミサ(やまとのささげうた)》で、これは改訂聖歌集として1966年に発表された『カトリック聖歌集』に収められました。

高田は当初、洋楽風の旋律を想定していましたが、同じく音楽委員を務めたゴーセンス神父(エリザベト音楽大学初代学長)からの反対を受け、日本的な旋律を作曲することになりました。第二バチカン公会議後、1967年に発表された「典礼音楽に関する指針」(典礼検証実施評会議)では「その地域の人々の精神、伝統、特色ある表現に巧みに調和」させる音楽を重視されており、これに先立つゴーセンス神父の助言には先見の明があったと言えます。

こうして日本の伝統的な旋律に意識を向けた高田は、ミサ典礼文に仏教音楽の旋律的特徴を取り入れていきました。浄土宗の経文、礼賛、御詠歌の旋律要素を「日本人の祈りの心と一致」するように取り入れていったのです。

高田はやみくもに日本的旋律を求めることだけをせず、教会の伝統を学ぶため1957年にはフランスのソレム修道院で2週間のグレゴリオ聖歌漬けの生活も送りました。19世紀グレゴリオ聖歌研究の中心地であったとい言っても過言ではないソレム修道院。ソレム式の歌唱は、後にグレゴリオ聖歌が書かれたネウマ譜の仔細な解読を行った人々(セミオロジー)からの批判を受けましたが、高田はアルシス(飛躍)とテーシス(休息)を演奏の骨子としたソレム式の歌唱と日本語の親和性に注目し、これも聖歌創作の礎としました。

 

とかく、「日本的」という概念と直面した芸術家は、日本・東洋を我、西洋を彼と、二元的な考え方になりがちですが、高田は日本の聖歌創作の流れの中にいて、日本の伝統的な祈りとキリスト教音楽、ひいては西洋音楽の礎といっても過言ではないグレゴリオ聖歌の真髄を学び取り自身の聖歌創作へと生かしていた点で、そうした二元論的な捉え方とは一線を画していると言えます。

高田の作品が今日でも教会で、またコンサートホールで鳴り響いているというのは、私たちにとってかけがえのないことだと思います。

私も高田三郎の歌曲を学び、演奏していきたいと思います。

 

《参考文献》

高田三郎 「『詩』について」『音楽芸術』東京:音楽之友社、1993.12、41〜43頁。

紅露剛、石田昌久、坂倉直美、関谷治代「高田三郎のあゆみ–没後10年を記念して」『南山大学図書館カトリック文庫通信』 愛知、南山大学、2020.11、28

 

 

高田三郎と日本の文学・音楽①

合唱曲《水のいのち》や歌曲〈くちなし〉(歌曲集《ひとりの対話》)で知られる高田三郎(1913~2000)は、先日の演奏会で歌唱した畑中良輔先生よりももう一つ世代が上で、東京音楽学校では信時潔やクラウス・プリングスハイムらに作曲を師事しました。

高田は、歌曲や合唱曲のほかにもカトリックの日本語聖歌を作曲したことでも知られています。彼が学生時代を過ごした戦前期には「日本的」な作曲とは何かという問題が創作の上で、また雑誌メディアの上でもさかんに論じられていた時代でした。実際に師であるプリングスハイムはそういった論争の渦中にいた人物でもありました。得てしてそうした論争は、技術上の問題や、文化接触による摩擦の問題を含んでいる中、高田はもう少し純粋に創作上の問題、または祈りの中での問題として日本の音楽や文学をとらえていたように思います。

高田三郎と文学

高田は1913年、名古屋市中区矢場町の芸術や音楽に造詣の深い弁護士の家庭に生まれました。十歳年上の兄の影響から、中学に入ったころの高田は音楽と同時にH・G・ウェールズ著『世界文化史体系』や『世界文学全集』に傾倒し始め、「人間そのものの精神に深く入り込んで」いきました。やがて、彼は音楽を知るにつれ、フランスをはじめとする西洋の音楽作品の中に全集の中の『近代詩人集』で読んだ近代詩人たちの作品を発見していきました。ドビュッシーの《牧神の午後》と出会いは、マラルメの文学を管弦楽作品とした作曲家の計画から、歌曲のテクストとして用いることができる詩の限界にも気づいたといいます。

その後、作曲科の学生となった高田は、最初の歌曲として堀口大学の訳でヴェルレーヌの「悲しき対話」に作曲し後に立原道造、深尾須磨子、北川冬彦、高野喜久雄などの詩人と出会いました。

高田自身、日本の「日本の詩というものは明治の開国以降に出始めたもので、その前は和歌、俳句が締めており(中略)詩の世界は輸入を待ってその後に育っていった」、「歌曲におけるテクストとしての詩について辿ってきた私の道筋も、その歴史と並んで来ており、あながち廻り道とは言えない」と述べています。

高田にとっての日本の近代史は、『世界文学全集』の「近代詩人集」のその先にあると考えることができます。このような「世界文学」的な視野で日本の近代史を捉える彼の文学観は、同じく明治以降の「輸入」品である西洋音楽による作曲において、自然なバランス感覚を持ちながらの創作することを可能にしているのではないかと思います。そうしたバランス感覚から生まれ出る高田の音楽が、難しいもの、有難いものといったクラシック音楽につきものの先入観を超えて、自然と心に染み入るものであることは、彼の合唱、歌曲作品が今でも愛される理由の一つであるのではないでしょうか。

 

2021.9.16 Menicon SUPER CONCERT 歌劇《あしたの瞳〜もうひとつの未来〜》

Menicon SUPER CONCERT 歌劇《あしたの瞳〜もうひとつの未来〜》

2021年9月16日17:30開演

愛知県芸術劇場大ホール

宮川彬良さんの音楽によるこの舞台。見るとは何か、見えるとは何か。ただの歌劇じゃないエネルギッシュな舞台をお届け致します。

700名様無料ご招待のこの舞台。皆様のご来場をお待ちしております。

お申し込みは、こちらのホームページより。

https://youtu.be/NWdmXIQyaAY

岡田暁生『音楽の危機–––《第九》が歌えなくなった日』とハイドン《十字架上のキリストの最後の七つの言葉》

先日2021年6月27日のハイドン《十字架上のキリストの最後の七つの言葉》本番と、岡田暁生氏著『音楽の危機–––《第九》が歌えなくなった日』(東京:中公新書、2020年9月25日)を読んで考えたことをメモ的にまとめたいと思います。かなり徒然な内容です。

合唱団主催の演奏会の延期、中止が続き、また私自身も大学の合唱の授業は今期は全てオンラインでの開講となっており、ここ一年ちょっとの間で多数の人が集まって音楽を楽しむ、学ぶという場所が消えてしまっていることに、もう半ば慣れてしまっていました。しかし、先日のハイドン《十字架上のキリストの最後の七つの言葉》は、オーケストラを弦楽四重奏バージョンに改めるなど工夫をこらしての演奏だったとはいえ、第一生命ホールで合唱、器楽、ソリスト、聴衆のすべてが揃って、一つの時間を共有できたこと、その久しぶりの体験に、やっぱりこういう音楽が好きだと実感する本番となりました。

ここ一年ちょっとの間、ライブ、コンサートに実際に足を運んで楽しむことができなくなった機関、アーティストが模索して実践してきたのは、ライブ配信やそれに伴う録音技術の習得でした。実際に私も素人ながら録音機材、パソコン、カメラを入手し撮影や動画編集の勉強を少しずつはじめています。

新しい音楽の発信の仕方を模索する一方で、何か羽をもぎとられたような虚しい感覚も同時に感じていました。

人と人が同じ場所の空気を共有しない音楽・・・

レコーディングやオンラインライブなどを通じて、そこにちょっとした違和感を持ちながら過ごした一年ちょっとでもありました。これまで悩んできた音楽には、再生不可能な一度きりの瞬間へかける時間、思いがあり、これまで楽しんできた音楽には、共演者、聴衆と同じ音楽を共有したその唯一の瞬間の喜びがありました。

岡田氏は著書の中で「『録音された音楽』と『生の音楽』とは根本的に別ものであり、前者は『音楽』ではないことを明確にするべく、『録楽』という概念を提唱』した作曲家三輪眞弘氏の考えに沿いながら話を進めていきます。

「音楽」と「録楽」・・・どらが良いとか悪いとかいうことではなく、この二分法はとてもしっくりくるような気がしました。

岡田氏はまた、「美術や文学は音楽と違って孤独な鑑賞に向いている」が、「録楽は、美術にとても近い」と語っています。

リモートワークはプライベートな環境の中で他者と情報を共有しつつ仕事を進めていきます。「録楽」あるいはライブ配信においても、あくまで鑑賞の場はプライベートな空間。それは有名な美術作品をだれもいない美術館で鑑賞するのと同じような体験なのではないでしょうか。

 

では、「音楽」とは何か。これは難しい問題だと思いますが、今のコンサートの形(興行主が企画をし、チケットを売り、そのチケットを買えばだれでも聞きに行くことができる)が成立したのは第一次産業革命後の古典派時代のことでした(岡田氏『西洋音楽史』に詳細)。それ以前の王侯貴族だけの特権的な持ち物だった音楽が、一般市民にも開放されたというオープンな側面がある一方で、都市に住んでいるという条件は音楽を日常的に享受する上で欠かすことができませんでした。また、経済的な面を含めチケットを買うことができるということも、ある意味で条件なのかもしれません。

まとめ

「録楽」は美術鑑賞、読書と同じ個人的な体験であるのに対して、「音楽」は閉ざされた空間での集団的な体験である。

「録楽」はリモート、「音楽」はローカル

 

18世紀に起きた第一次産業革命によって、現在の音楽聴取の文化が整えられました。現在は第四次産業革命すなわちIoT(Internet of things)の時代として、すべてのモノ・コトがインターネットでつながれようとしています。そんな中で、音楽においてもリモートでの聴取体験が一般化しつつあります。私は古い人間といわれようと、ローカルな音楽体験が好きです。おそらくローカルな体験をリモートで共有するという時代になってくると思います。そうした意味で、ソロよりもデュオあるいはアンサンブルの形式の音楽がより勢いをもってくるような気がしています。ソロの体験は人々の日常の中に既にあるからです。

おうち時間、ひとり時間に慣れた私たちを、本来黙想の音楽であるハイドン《十字架上のキリストの最後の七つの言葉》が、ホールで共有する一人一人のひとり時間をおおらかに包み込んでくれました。

 

2021.8.7 戦没学徒のメッセージⅢ 戦後76年里帰りコンサートin旧奏楽堂

東京音楽学校で学びながら、学徒出陣によって命を落とした先人たち、そして彼らの学友たちの作品を東京音楽学校旧奏楽堂で蘇らせます。

私は村野弘二氏、畑中良輔氏の作品を演奏致します。

魂を込めて演奏したいと思います。

チケットは本日(6月23日)より発売開始です。皆様のご来場をお待ちしております。

「戦没学徒のメッセージⅢ 戦後76年里帰りコンサートin旧奏楽堂」

2021年8月7日15:00開演(14:00開場)

台東区立旧東京音楽学校奏楽堂

入場料3000円(全席指定)

【販売】

芸大アートプラザ(店頭販売のみ)03-3828-5669

ヴォートル・チケットセンター

チケットぴあ

イープラス

 

 

メディアとしての音楽—J.ハイドン 十字架上のキリストの最後の7つの言葉 Die sieben letzten Worte unseres Erlösers am Kreuze

2021年6月27日に演奏するJ.ハイドン《十字架上のキリストの最後の7つの言葉》Hob.XX:2についてのまとめです。

 

①作曲の経緯

Ver.1 オーケストラ版

ハイドンは1785年頃スペイン南部の町カディスの司教ホセ・サルス・デ・サンタマリアに依頼を受けてこの作品の作曲の器楽版を作曲することになります。

カディスのサンタ・ロザリオ教会では毎年復活祭の前の聖週間に様々な祈りの儀式が行われていましたが、司教キリストが亡くなったとされる聖金曜日に地下礼拝堂で行う礼拝のために知人を通じてハイドンに作曲を依頼しました。

礼拝は、制金曜日の昼間、礼拝堂の内側に黒い布を張り巡らせて真っ暗にしたうえで、真ん中に灯りを一つだけともした状態で進められます。正午になると音楽の序奏が始められ、その後司教が壇上に上ってキリストが十字架上で語った言葉を述べ、その言葉について説明を加えました。その後、司教は壇から下り、十字架のキリスト像の前で膝まづいて黙想し、その間に音楽が演奏されました。キリストが語った言葉は7つあるため、これを7回繰り返し、最後にキリストが息絶えた後に起こったといわれる大地震の様子がい音楽で奏でられ、礼拝は終了します。

ハイドンはこの7つの言葉の内容をかみしめ、黙想に合うように遅いテンポの7つの楽章を作曲し、さらに序奏と早いテンポの「地震」の楽章をつけ加え合計9つの楽章からなる作品を作り上げました。これが《十字架上のキリストの最後の7つの言葉》の最初のヴァージョンで、1787年にカディスの礼拝堂で初演されました。

 

Ver.2 弦楽四重奏版 ピアノ版

1787年夏、ウィーンの出版社アルタリア社と印刷楽譜出版の契約を結ぶにあたって、ハイドンはオーケストラ版をもとに、弦楽四重奏版の編曲を行いました。また、アルタリア社が用意していたピアノ編曲版に目を通し、オーケストラ版、弦楽四重奏版、ピアノ版の3種類の楽譜が出版されました。

 

Ver.3 オラトリオ版

この作品のオラトリオ版に最初に着手したのはハイドンではありませんでした。ドイツのパッサウの大聖堂に勤めていた音楽家、ヨーゼフ・フリーベルトは1792年から93年にかけて、ハイドンのオーケストラ版に歌詞をつけ合唱パートを付け加えました。また、司教が語ることになっていたラテン語によるキリストの7つの言葉をドイツ語に書き換え、レチタティーヴォにしました。

ハイドンは第2回ロンドン旅行(1794~95)の帰りにパッサウを通りがかった際、フリーベルトが編曲したこのカンタータ版の演奏を聴き、その楽譜をウィーンに持ち帰り1975年から96年にかけてフリーベルト編曲をもとに自身で作り直しました。ハイドンは、レチタティーヴォの部分をコラール形式の合唱に書き換え、また合唱の部分も幾分の変更を加えました。その際、オラトリオ《天地創造》《四季》の歌詞を作成したゴットフリート・ファン・スヴィーデンが歌詞の作成に協力しました。また楽器編成もフリーベルト版よりも大編成とし、1796年に完成させました。

 

②歌詞

《十字架上のキリストの最後の7つの言葉》対訳

 

私感

ウィーン古典派の代表的な作曲家とされるハイドンですが、彼が生まれたのはJ.S.バッハが活躍中の1732年。彼の青年期頃までは音楽史の上ではまだバロック時代でした。絶対王政時代に王侯貴族たちの権威の発露や社交の場での音楽が多く作られたバロック時代。ハイドンもまたエステルハージ家に仕えながらも、楽譜出版を通じて、また合唱文化を通じて創作の方向性を形作っているこの作品は、古典派時代(第一次産業革命から市民階級が活躍する時代)の新しい音楽の形を象徴するものであると思います。弦楽四重奏、ピアノ、合唱、これらは新しく興った市民階級が享受した音楽だからです。

この作品の根幹にある「祈り」。それすらも、社会の変遷とともに新しい形で広がっていっている。新しいメディアとしてのハイドンの音楽は親しみやすく、世の中に自然と溶け込む姿は美しいと思います。

 

キャンディード---バーンスタインのメッセージ

1989年にバーンスタイン自身が指揮をした演奏会形式の《キャンディード》。序曲と第2幕の前にバーンスタインが観客に向けて語った内容をご紹介します。

序曲前

いやはや友人諸君、みなさんはこう思っているだろう。「また老教授の講義か」。手短に紹介だけをしておきたい。 演奏前に一言喋る気になったのは、30年いや正確には35年前にこう尋ねられたからだ。「なぜ《キャンディード》を音楽劇化するのかね」と。 質問に答えたい。作曲を担当した者としてだけでなく、皆さんと同じく歴史を見つめてきた者として。 その歴史も特に18世紀を中心として「啓蒙の時代」といわれた時代。ヴォルテールが生き、著作とと共に人々を啓蒙した時代だ。 代表作は薄っぺらいが、内容は手強い『カンディド』。劇作家のリリアン・ヘルマンと私は共同で音楽劇化を試みた。 原題は『カンディドーーーあるいは楽天主義説』であり、彼がその本で痛烈に皮肉った当時の主流思想が「楽天主義」。その思想を最初に捉え体系化したのがG・W・ライプニッツ。アレクサンダー・ポープがそれを広めた。ポープは『人間について』でこう書いている。「何であれ、今あることは正義である」。ライプニッツとポープの言うところによれば、創造主は善なるものである。最善なる創造主が作る世界は可能な限り最善の世界である。何であれ、今あることは正しいわけだ。 この世では確かに、罪なき者が殺され、罪人は罰されない。病気や死や貧困がある。だか、神の計画である全体像を見ることができれば、すべては最善であることがわかるとライプニッツは考えた。 ヴォルテールは当然そんな思想はおかしいと考えた。特に1755年のある日、ポルトガルのリスボンが大震災で全壊し、無数の人々がガレキに埋められ、生きたまま火に包まれた。全滅だ。 ヴォルテールは言う「ライプニッツが正しいのなら、神々は嬉々として殺虫剤を撒き散らし、何百万の蚊を殺していることになる」。リスボンの不幸を見かねたヴォルテールは、カンディドを書き、あらゆる既成の権力を痛罵した。王室、軍人、商人を揶揄し、とりわけ異教徒を火刑にする教会権力を痛烈に皮肉った。神への供儀の火刑だった。 ヴォルテールは言う「宗派宗教は常に争いを煽動し続け、楽天主義を信じさせる。楽天主義は諦観と無気力を生み出し、変化し、進歩し、不正に対抗する人間の力を抑制し、よりよい世界の実現に寄与するものの創造を禁じるのだ。」 皆さんが退屈している講義の下調べをする途中で私は、ヴォルテールの“イズム”を簡潔にまとめた文章を発見した。 以下引用 「ヴォルテールは折衷主義者。彼が統合したのは克己主義と快楽主義と懐疑主義である」 それでは序曲を‼︎

第2幕前

正義にして善。すべては正しく善である。また老教授の講義になるが、それは本当だろうか?
悪の兆しは何処にもある。天災や予期せぬ惨事は別にするとしても、われわれ人間が故意にする悪事はどこにでも見られるではないか。「考えられる限り最善」のこの世界の随所に。
最悪なのはリリアン・ヘルマンがテーマに選び、音楽劇によって訴えたかったもの、今では記憶に薄れつつある悪夢”マッカーシズム”という愚行だ。
第1幕で見たスペインの宗教裁判そっくりの”イズム”。血も凍る恐怖。
それはわれわれの世紀の50年代の初期のことだった。リスボンの事件からちょうど200年後のことだ。アメリカを代表するすべての良き文化が弾圧された時代。
弾圧者はウィスコンシン州出身の上院議員。ジョセフ・マッカーシーとその手下どもだった。ハリウッドも狙われた。諸君が生まれる前の話だ。
映画人のブラックリスト、テレビ番組の検閲、失業と自殺と国外追放の時代。共産主義者の疑いがある人物を知っているだけで旅券発行停止。私も自国の政府から旅券発行を拒否された。
ヴォルテールも同じように旅券発行を拒否されている。彼の返答は風刺とあざけりだった。笑いを通じて読者が得たのは自己認識と自己を主張する精神。その精神から議論が生じる。議論や論争こそ、つまりは民主主義のいしずえなのだ。
だからリリアンと私は原作の辛辣な機知と知恵に魅了され、作詞家のJ・ラトゥーシを誘い音楽劇化の作業に着手した。第1幕の梅毒の歌を書いた奇才だ。
もう1曲の梅毒の歌でやや誇張した詩を書いた男はこれもすぐれた作詞家のR・ウィルバー。亡くなったが合衆国の桂冠詩人だった。その2人以外にも大勢の詩人が改訂に次ぐ改訂の面倒な作詞作業に貢献している。
たとえばH・プリンス、S・ソンドハイム、J・マルチェアリ、J・ミラー博士、わたしも書いているがそろそろパングロスの名調子に譲りたい。

2021.2.17 BSS山陰放送「なまラテ」出演

先日2月17日、BSS山陰放送「なまラテ」に出演させていただきました。

今回で3回目の出演で月一順レギュラーの次に出演回数が多いとのこと。

山陰地方の産業、今の魅力を一歩踏み込んで発信されるこの番組。パーソナリティの中島早也佳さん、宇田川修一さん、藤井美音さん、皆さんの明るく楽しいキャラクターも大好きです。

これまでリモート出演でしたが、いつかスタジオにお邪魔させていただけたら最高です。

https://www.bss.jp/namarate/