唱歌・童謡ものがたり(戦前)

初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす

万葉集巻五、梅花の歌三十二首の序文の一節である。新元号「令和」。日本の古典が元号の出典となるのは画期的なことであるといわれている。典拠となったのは8世紀の歌人大伴旅人を中心とする梅花の宴の序文。正月に仲間を館(官舎)に招いての歌会で、梅をめでながら宴を楽しんでいる心情を詠んだものである。日本人は古来から、宮廷では歌会をたしなみ、また庶民は歌垣によって逢引し、生命を育んできた。日本人の生活と歌とはとても近い関係にある。

和歌をはじめとする日本の歌は、本歌取りに代表されるように、古き歌を知って新しい創作に生かすことを美としている。唱歌・童謡を創作した初期の詩人には江戸時代からの流れを汲む国学者も多く、一例をあげると、武島羽衣は瀧廉太郎作曲の〈花〉の作詞の際、『源氏物語』胡蝶の巻の「春の日のうららにさしていく船は棹のしずくも花と散りける(『源氏物語』胡蝶の巻)」をもととして創作を行った。

若者たちからすると、唱歌・童謡はおじいいちゃん、おばあちゃん世代が歌ってくれる昔風の親しみのない歌というイメージもあるのかもしれない。しかし、文部科学省が発行する音楽科の学習指導要領をみてみると、現在、小学校では文部省唱歌が全学年を通じて17曲取り上げられ、中学校では「我が国で長く歌われ親しまれている歌曲」として〈早春賦〉〈夏の思い出〉〈赤とんぼ〉〈浜辺の歌〉など7曲が取り上げられている。

私は、現在都内の中学校で非常勤講師の職を得ているが、先にあげた瀧廉太郎〈花〉などは、歌詞の古めかしさが障壁になることもなく、音楽の躍動感に合わせて楽しそうに歌う子供たちの姿にはっと驚かされる。古い歌の普遍的な魅力を楽しむ日本人の感性がそこにもあると思う。

温故知新——月並みではあるが、日本人の歌の創作の在り方、歌の楽しみ方を思うとき、この言葉を実感する。

 

 

「唱歌」の言葉は明治以前からあった。平安時代以降、雅楽において器楽の譜を声で歌うことを「唱歌(ショーガ)」と呼んでいる。また、室町時代末期から江戸時代にかけては短い歌曲のことを同じく「唱歌(ショーガ)」と呼んでいた。

1972年(明治5年)の学制頒布において、欧米の教育制度にならいSchool Musicという意味での「唱歌(ショーカ)」が設定されたが、学制「下等小学教科」中には「唱歌当分之ヲ欠ク」と記され、当初は科目として設定されたものの、実施はされていなかった。欧米にならった唱歌教育の方法が確立されておらず、またその技術を持つ教師もいなかったからである。そのような状況を打開すべく1879年(明治12年)10月に文部省音楽取調掛(東京藝術大学音楽学部の前身)が設立された。アメリカ留学の際に音楽を学んだ伊沢(いさわ)修(しゅう)二(じ)がボストンの音楽教育家ルーサー・ホワイティング・メ―ソン(1828-1896)を御雇教師に招聘し、また宮内省雅楽寮の上(うえ)真(さね)行(みち)、奥(おく)好義(よしいさ)、辻則承(つじのりつぐ)、芝(しば)葛(ふじ)鎮(つね)らが助教となった。伊沢は「東西二洋の音楽を折衷して新曲を作ること」、「将来国楽を興すべき人物を要請すること」という理想を掲げた。

続いて世は——「板垣死すとも自由は死せず」——自由民権運動の時代となる。自由民権運動・欧化思想と国粋主義の対立、政治的対立(主権在君、主権在民、主権在国会)や思想的混乱。朝鮮出兵(1884)、明治憲法制定(1889)、国会開設(1890)などもこの時期にあたる。学制頒布以降、小中学校の教科書は、文部省が出版したものと、民間で出版されたものを文部省が調査して適当と思われるものを地方長官が任意に採択したもとの2種類があったが。しかし、この時期の社会的混乱に対応して国は1886年(明治19年)4月に小学校令を公布し、文部省が直接統制できる形の教科書検定制度を確立した。

20世紀をむかえると、日本語に改革が起きる。言文一致運動である。話し言葉と書き言葉を一致させようという文学者たちの改革運動であり、先駆者の二葉亭四迷(ふたばていしめい)は代表作『浮雲』の創作において、落語家の語りを速記したといわれている。すでに1892年(明治25年)伊沢修二編『小学唱歌』において言文一致唱歌の出現がみられるが、最も功績を残したのは田村(たむら)虎蔵(とらぞう)である。子供には、子供の言葉で、子供の生活感情に合った唱歌を与えなければならないというのが彼の主張であり、これは後の三木露風、北原白秋、野口雨情らの詩人や山田耕筰らの作曲家の童謡観と相通ずるものである。

1910年(明治43年)から1935年(昭和10年)にかけては、文部省唱歌が創作された時代である。1902年(明治35年)の教科書疑獄事件(教科書会社と教科書採用担当者との間での収賄事件)があり、これに処する形で1903年(明治36年)政府は教科書国定の方針を確立した。国定とは、編集、発行などの権限を政府が持つことである。当初は全教科でこれを実施したのではなく、修身、日本歴史、地理、国語読本を国定とし、書方手本、算術、図画は文部省で教科書を出版したが、唱歌をふくむそれ以外の科目については小学校令(1886年)の内容、つまり文部省による教科書検定制度が継続して適応された。1910年になると、書方手本、算術、図画と同じく、国定ではないが文部省編纂による唱歌集が発行されはじめる。1910年から1935年まで、4回にわたり唱歌集が発行されたが、これがいわゆる「文部省唱歌」である。文部省唱歌創作には、東京音楽学校を中心とする一派の人々が、田村虎蔵一派の言文一致唱歌を「唱歌の気品を害する」として批判し、「気品の高い唱歌」を作ろうという理念も込められていた。また、教科書国定の議論を背景として、国民思想統一の一役も期待されていた。

日本軍が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が開戦した1941年(昭和16年)、国民学校令が実施されると、唱歌を含めたすべての教科書は国定に統一され、それ以外のものを教科書で使うことはできなくなった。国民学校の音楽教科書では文部省唱歌の一部のほか、祝日大祭日唱歌(君が代、勅語奉答、一月一日、原始祭、紀元節、神嘗祭、天長節、新嘗祭)の曲目が取り上げられた。

以上、戦前の唱歌創作の概観である。こうした戦前の唱歌の歴史の流れをふまえて、童謡の歴史も概観したい。

 

初期の文部省唱歌集『尋常小学唱歌』が刊行し終わった大正初期(1910年代前半)から、教育界全体に自由主義の主張がなされるようになった。また、一方で20世紀初頭にドイツで起こった芸術教育思潮が紹介されて依頼、小学校の文芸・美術・音楽等の芸術教育方面に活発な運動が展開されるようになった。このような子供の関心・感動を中心とした教育運動、その一つとして現れたのが童謡の流行であった。

童謡運動の作品発表は、主に子供向けの雑誌上で行われた。そうした雑誌は、『子供之友』『少女号』『赤い鳥』『金の船』『童話』『コドモノクニ』と枚挙にいとまがないが、これらの多くは新作の童謡とその楽譜や挿絵つきの児童文学作品を掲載した。一冊で、音楽、絵画、文学を楽しむことができる子どものための総合芸術雑誌ということができ、知識階級の家庭や自由教育の学校教室に受け入れられていった。

鈴木(すずき)三重(みえ)吉(きち)が主宰し、1918年(大正7年)に童話と童謡を創作する最初の文学運動として創刊された『赤い鳥』の存在は大きい。鈴木は唱歌の歌詞が教化的文語脈の生硬で非芸術的なものであったのに対して、児童性を尊重した口語脈の芸術的な歌を民間の詩人の手で作りだすことを目的とした。北原白秋、西条八十、三木露風らも『赤い鳥』誌上で童謡を発表し、その後の創作のきっかけとなった。

当時の詩壇にみられる二種類の文学的背景をふまえておくことは、童謡を読む際の一助になると考えられるのでここに紹介しておきたい。一つは上田敏『海潮音』(1905年)や永井荷風『珊瑚集』(1913年)等の西欧詩の移植導入がもたらした象徴詩調の系譜であり、北原白秋、三木露風、西条八十などがこれにあたる。もう一つは、西欧詩の移入に対して日本古来の感情の表現を目指した民謡詩の系譜で野口雨情や島木赤彦らがいる。

両者に共通しているのは、それまでの固い学校唱歌の内容とは明らかな違いをなしていることである。象徴詩一派は近代生活の中でのこどもたちの感情を表現し、民謡詩一派は伝統的な自然の中で感傷世界を歌っている。三木露風は「童謡をつくることも自分をうたうことであり、天真のみずみずしい感覚と想像とを易しい言葉で歌う詩である。」といい、また野口雨情は「(童謡は)永遠に滅びない児童性をもっているもので、大人の胸にも子供の頃の懐かしい心持がわいてくるべきもので、しかも言葉の調子が音楽的にも優れていて、歌い踊れるものがまことの童謡だ。」と語っている。彼らは感性や感動、音楽的な体験を一義として創作をしていることがわかる。

これらの童謡創作のきっかけが、ドイツの芸術教育思潮を含む、20世紀初頭の新自由主義教育を背景としているのはとても興味深い。というのは、こうした童謡創作の歴史が日本のいわゆる「芸術歌曲」創作の流れと接点をもっていたからである。

山田耕筰は、童謡について以下のような見解を持っていた。

 

童謡には二つのあらはれがあります。その一つは芸術的童謡で、他の一つは遊戯的童謡とでも呼ぶべきものであります。芸術的童謡とは、大人が直観した——或ひは大人の内部に潜在してゐた童心が、自発的に流れ出て歌となつたものであります。遊戯的童謡は之に反して、児童の表面に浮動してゐる戯心を、大人が自己流の鏡に反射したものにすぎません。

(山田耕筰「童謡の作曲に就いて」『詩と音楽』)

 

「芸術的童謡」は、大人の立場から童心を回帰して生まれてくるものだという。たしかに三木露風作詞の〈赤とんぼ〉などは、子供の頃の記憶を思い出した大人の立場からの詩であると読むこともできる。また、山田の歌曲には、〈かやの木山の〉のように出版譜によってある時は「童謡」と分類され、またある時は「歌謡」と分類されたりするものがある。山田にとって、「童謡」と「歌曲(歌謡)」との区別は創作年代によって揺れ動き、明確なものではなかった。

 

【主な参考文献】

与田準一「解説」『日本童謡集』  東京:岩波文庫、1957年12月。

堀内敬三・井上武士「解説」『日本唱歌集』 東京:岩波文庫、1958年12月。

小島美子『日本童謡音楽史』 東京:第一書房、2004年10月。

山田耕筰「童謡の作曲に就いて」『詩と音楽』 東京:アルス、1922年11月。

池田小百合氏による童謡に関するサイト

http://www.ne.jp/asahi/sayuri/home/index.htm〉2019年8月18日アクセス

バッハとモーツァルトの距離

今日の練習

バッハ《マタイ受難曲》

ヘンデル《メサイア》

ミュージカル・映画ナンバー

宮川彬良《あしたの瞳》

モーツァルト《フィガロの結婚》

バッハで掴んだものがヘンデル、ミュージカル・映画ナンバー、宮川彬良ではできたけど、モーツァルトではできなかった。

モーツァルトへの先入観があるような気がする。

バッハ 1685〜1750

ヘンデル 1685〜1759

ミュージカル・映画 20世紀

宮川彬良1961

モーツァルト 1756〜1791

バッハとモーツァルトは70年しか違わない。モーツァルトを音楽として謙虚にとらえてみよう。

2019.9.10,11 歌劇「あしたの瞳」ダイジェスト演奏会

2019910日、11日 メニコンANNEX5階HITOMIホールにて宮川彬良氏作曲歌劇「あしたの瞳」ダイジェスト公演に出演したします。

作曲家宮川彬良氏は、宝塚歌劇団や劇団四季の作品や、東京ディズニーランドのショー音楽も手掛けられています。昨年の東京ディズニーリゾート35周年記念ハピエストセレブレーションインコンサート!!への出演で、改めてディズニーミュージックの魅力の虜になった自分としては、そんなショー音楽も手掛けておられる宮川氏の音楽劇に関わらせていただくことができ、とても嬉しく思っています。

氏の音楽は、バーンスタインを彷彿とさせるような様々なダンスリズムに溢れ、しかもメロディーも魅力的、また音楽によるドラマトゥルギーも秀逸で、僭越ながら日本にこんなに素晴らしい音楽劇作家がいたのか!!と感激しました。

音楽の要素も美しいコラールから、ブラックミュージックを彷彿とさせるものまで様々で、歌い手にも色々な音が要求されます。

劇の内容はメニコン創始者の田中恭一の物語で、戦時中、人間魚雷回天の部品を作っていた恭一がコンタクトレンズを開発し、モノづくりとは何かを訴えかけるもの。恋や様々な人々(西洋人)との出会い、まら私が歌わせていただく「瞳の記憶」という抽象的なキャラクターの存在が劇の奥行を一層深いものとしています。

2日間で180名のご招待での公演です。是非沢山の皆さまのご来場をお待ちしております!

申し込み締め切りは815日です!!!

https://www.menicon.co.jp/company/news/vol723.html

20190813

2019.8.3,4 島根で歌い隊《カルメン》(日本語ハイライト公演)松江・隠岐公演 終演

ご来場いただいた皆様、また島根県会館、隠岐島文化会館でご協力いただいたスタッフの皆さまに支えられ、無事終演致しました。

オペラは日本人の日常からは少し距離のあるもので、多くの歌手たちがそれを身近に感じてもらおうという趣旨の公演を企画しています。私もこれまで、何度かそのような公演に関わらせていただいてきましたが、うまくいく時もあれば、うまくいかない時もあります。

何を以て「うまくいった」と思えるかははっきりと言葉にできないのですが、今回の公演はうまくいったと実感できるものでした。

それは、終演後のお客様の顔、また共演者の顔、そして自分自身の感覚から漠然と感じます。

何を以てみんなの笑顔が生まれるのか、これということは言えませんが、退屈になりがちなオペラ公演も多い中、うまくいったと思える今回の公演を振り返り、備忘録としてまとめておきたいと思います。読んでいただく方には、煩雑な内容になり恐縮ですが、あくまで備忘録としてまとまりのない箇条書きをお許しいただければと思います。

 

 

・今回、初めてスタッフの方が常駐するホールを借り、ホールの力をお借りして舞台作りをしました。これまでは、会議室件音楽ホールや常駐スタッフ不在の小さな音楽ホールで活動をしてきたのですが、今回が地元メンバーの尽力によりいつもより大きな舞台に挑戦するはこびとなりました。

・稽古の中で大道具や照明を予算も含めて話し合い、自然と当日の舞台をイメージし、理想像を共有していくという作業をしていました。「せっかくならオシャレに、しかし予算は低く…etc」。限られた予算の中で何を取って何を捨てるか、妥協点を皆で話し合いました。

・本番を迎えるにあたっては、スタッフの方に本当に好意的に支えていただきました。「いい舞台を創りたい(ってあげたい)」という思いが現場に漂っていました。舞台スタッフの方々は演者にはない視点・思いを持っていてそれを伝えていただくことで、スタッフの方々と演者とのコミュニケーションが成立していました。こういうコミュニケーションが可能となったのは、事前にスタッフの方々と本当によい関係を作ってくれた地元メンバーの存在のおかげです。

・シンプルですが色々な動きが可能でかっこいい舞台、またシーンごとにとても効果的な照明を作っていただくことができました。

・「島根で歌い隊」という名前が語るように、メンバーのほとんどは県外で活動し研鑽を積んでいます。今回いらしていただいたお客様の中にはそういうメンバーを応援したい気持ちを持っていただいているのと同時に、一体どういうクオリティーの公演になるのかという厳しい視点・思いもあったと思います。歌い隊のメンバーとしては、松江・隠岐公演計約600人のお客様の期待に少しでも応えられるようにという思いがありました。また、地元の方、家族や友人に何かしらの感謝の気持ちを伝えたいという思いがありました。

・メンバーそれぞれが、それぞれの活動の中で経験を積み、少ない稽古回数の中でも共有するイメージの舞台を創るために各人が的確に経験を活かし、アイデアを出し合いました。

 

 

我々歌い手の仕事の大半は、よい歌を歌うことにあると思います。しかし、オペラは総合芸術。ビジュアルも非常に大切な要素になります。そのビジュアル(舞台装置、照明)を作るのは歌い手だけではかないません。一緒に舞台を創るメンバーの中での好意的な意思疎通の存在があり、またお客様の目とそれ答えようとする演者の思いがありました。

なにか、そういった一元的でない要素が有機的に関係しあって、一つの舞台の輝きが生まれるような気がします。

S__58065002.jpg松江♥_190806_0030

 

隠岐公演の後、念願叶って隠岐でのシーカヤックをしました。IMG_2264

島根最高!!!愛すべき故郷!!!!!

2019.8.1 広島文化学園HBGホール 夏の第九

今日は広島で第九の合唱のお仕事です。

指揮は世界的指揮者の大野和士氏、オーケストラは氏が音楽監督を務めるバルセロナ交響楽団。

ディズニーリゾート35周年ハピエストセレブレーションインコンサート!!以来の広島文化学園HBGホール。

エンターテインメント性たっぷりのディズニーコンサートと、クラシックのコンサートではやはりホールの装いも違います。

とはいえ、開演前の無人のホールが醸すわくわく感はたまらないです。

溶けるような暑い広島に熱い第九。歌ってきます!!!

2019.7.27 作曲家・草川宏のレゾンデートル~草川宏作品集1~

2019年7月27日14:00開演、東京芸術大学音楽学部内第6ホールにて出演いたします。

以前、東京音楽学校出身の戦没学徒の一人である作曲家・草川宏の演奏会です。

草川氏の作品は以前にも演奏させていただいたことがありますが、その作品には当時の日本の「モダン」な音と、師・信時潔のクラシカルな構成が同居し、また彼の抒情的な感性もあいまってとても魅力的に響きます。

今回も、そのような彼の作品を演奏させていただく機会を得ることができました。

事前申し込みが必要ですが、入場無料(定員200名)となっております。

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2019.8.24 SING IN MESSIAH TOKYO

2019年8月24日(土)

調布市文化会館たづくり・くすのきホール(調布駅徒歩5分)にて
ヘンデル《メサイア》のバス・ソロを演奏いたします。

「シングイン・メサイア トウキョウ」は、客席からも合唱に参加(Sing-in)できる形式のメサイア演奏会です。ステージと客席が一体となってヘンデルの『メサイア』を歌う形式の演奏会は英米では多数行われておりますが、日本では、「シングイン・メサイア」として、 1975年に澤田久雄氏によって、聖公会の聖オルバン教会で開始され、その後、会場を聖路加国際病院礼拝堂などに移しながら25年続きました。
2000年からは、浅川玉樹氏とお母様によって、10年間「シングイン・メサイア東京」として続けられました。
その精神を受け継ぎつつ、2010年(第36回)から、新たに新生「シングイン・メサイア トウキョウ」として、活動を開始したのがこの演奏会です。

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2019.8.3 Voglio Cantare vol.4 G.ビゼー オペラ《カルメン》日本語ハイライト公演

2019年8月3日島根県民会館中ホールにて、オペラ《カルメン》日本語ハイライト公演に出演いたします。

私はエスカミーリョとダンカイロの二役を演じます。

血気盛んな島根出身の声楽家で結成された「島根で歌い隊」。東京だけでなく世界で活躍する歌手たちの共演、乞うご期待です!!

島根の皆さま。是非とも応援よろしくお願い致します!!!

チケットのご用命はこちらからお願い致します。

2019.6.27 生誕140周年 瀧廉太郎に捧げるコンサート

2019年6月27日(19時開演)ティアラこうとう小ホールにて出演致します。

芸大博士課程に在籍するテノール紀野洋孝氏と音楽劇「瀧廉太郎物語」を各地で上演する藤原伊央里氏の意欲的なCD「Re-瀧廉太郎作品集」発売記念を兼ねたコンサートです。私もレコーディングにはコーラスで参加させていただきました。

第一部は瀧廉太郎の名曲のほか、普段聴く機会の少ない幼稚園唱歌も演奏いたします。私はコーラスのほか箱根八里をソロ(ア・カペラ)で演奏する予定にしております。

第二部はオペラや歌曲の名曲をお届けいたします。私はP.A.ティリンデッリの歌曲《Mistica》を演奏する予定です。芸大大学院時代に直野資先生より「これ歌ってみろ」といただいた思い出深い作品です。

瀧廉太郎の名曲を、本格的な演奏でお楽しみください!

お問い合わせはこちら20190615