『エール』を通じて戦争の悲惨さ、それが人々に与えた影響を改めて感じています。戦時中は日本音楽文化協会を通じて、音楽家たちの表現も時局の流れに沿うこと余儀なくされます。
戦争と作曲
音楽の創作史においても、第二次世界大戦の影響は絶大でした。1920年代以降、音楽系雑誌メディアが充実し、海外の音楽事情にリアルタイムに近いスピードで接することができていたのですが、戦争を機にそうした情報が遮断されます。それ以前はイギリス、アメリカの現代音楽やジャズ音楽の情報も盛んに入ってきていたですが、それが敵国音楽となってしまいました。戦後、そうした情報が復活するのは日本が主権を回復する1952年を待たなければなりませんでした。1940年頃~1952年まで、実に12年にも渡って、作曲家たちは海外とのつながりを絶たれたのです。
パワーと反骨精神の日本の作曲家たちは戦後、すぐに創作の場を作ろうと自ら新たなグループを作ります。新声会、新作曲派協会、地人会…。それらの場所は、古関裕而と同じく戦争を体験した作曲家たちの新たな創作への礎であると同時に、次の世代の作曲家の誕生を担う場でもありました。
主権回復後、日本の現代音楽の代表的な作曲家に一人に武満徹(たけみつ とおる)をあげることができます。彼は、清瀬保二が開催した新作曲派協会の第7回作品発表会で《ピアノのための2つのレント》を発表し、作曲家デビューを果たします。民族主義的と評されることの多い新作曲派協会ですが、彼らが戦前より傾倒していた思潮に新古典主義があります。
新古典主義について
歴史をたどってみると、一つの価値観のもとで社会が継続され醸成しつくすと、それ以前の価値観に立ち戻ろうという思潮が生まれる傾向があるようです。ヨーロッパの歴史の中で代表的ものは中世からルネサンスへの移行があります。
フランク王国以降の中世ヨーロッパ社会では、教会(主にカトリック)が重要な役割を持ち、政治にも人々の生活にも欠かすことのできない存在となっていきました。しかし、ペストの流行や十字軍遠征の失敗、ローマの聖ピエトロ大聖堂の建築という問題を抱えたローマ教皇庁は、免罪符(カトリック教会が発行した、罪の許しを表す証明書)の販売するようになります。そのようなカトリック教会に対して、マルティン・ルターらが異議を唱えプロテスタントが生まれたことは有名です。
こうしたことを背景に、人々はいかに生きるかを強く意識しはじめるようになりました。
そこでやってきたのがルネサンス(再生)の時代です。ギリシア・ローマの時代にこそ人間性が肯定されていた理想の時代であるという考えのもと、古代ギリシア・ローマの学問、知識の復興を目指す文化運動がイタリアで興り、ヨーロッパ広がっていきました。
神中心の世界から人間中心の世界へと動き始めた瞬間です。
これとよく似た状況が20世紀ヨーロッパ音楽にも生じました。バロック時代に生まれたハーモニーの原理は、古典時代、ロマン時代を通じて徐々に複雑に展開されるようになっていきました。そうしたバロック時代以降のハーモニーの原理を限界まで突き詰めた結果、19世紀終わりごろになると遂にはハーモニー自体を否定しようという傾向が生まれます。
そのような時に、複雑化していく音楽へのアンチテーゼとして生まれた作曲思潮の一つが新古典主義です。音楽における「新古典主義」という言葉は専門の研究者の中でも定義が定まっていないようですが、代表的な作曲家にストラヴィンスキーが挙げられます。彼は《プルネルラ》の中でペルゴレージの音楽を素材として用いました。またジャン・コクトーが先導したフランス六人組も新古典主義に分類されます。
彼らの作品に共通するのが、複雑化、巨大化しすぎた音楽を、単純かつミニマルに戻そうという傾向です。
ストラヴィンスキーは《火の鳥》など大きな管弦楽作品でも有名ですが、俳諧に曲付けをした歌曲集《3つの日本の抒情詩》など小さな規模の作品集を作曲しています。そこには無駄を廃して表現を極める俳句のミニマルな世界があります。
日本人作曲家にとっての「古典」
エールの時代の作曲家たちは、そうしたヨーロッパ20世紀の新古典主義にも機敏に反応していました。しかし、そっくりそのまま真似をするのではなく、独自の方法を以てです。作曲家清瀬保二は以下のように語っています。
「新古典主義なるものに共鳴するならば、外国の古典をでもありまた日本の古典をでもある。いくら外国の楽器を用いているからとて、彼らの古典にばかりひたっているわけにもゆかない。ところで、われわれには音楽上の古典がないというならば他の藝術により得るもよし、民謡から得るもよかろう。また雅楽琴三味線音楽からも得られよう。」
ヨーロッパの作曲家たちが、自らの「古典」をロマン主義時代以前に求めたように、日本人の自分たちは日本の伝統音楽に「古典」を求めるべきだ。というのが清瀬の主張です。彼のこの考え方は同世代の他の作曲家にも共有されていきました。特に、雅楽を用いて戦後の現代音楽の世界で国際的に活躍することにもなる松平頼則(まつだいら よりつね)はその方向を突き詰めていくことになります。
ヨーロッパの最新思潮と、日本の伝統音楽との関係。この時代の作曲家たちは一見困難なこの問題について、積極的に取り組んでいきました。
『エール』の時代の作曲家たち⑥につづく…