2019.8.7あいちトリエンナーレ2019 サカナクション「暗闇」を鑑賞して~感覚の欲求~

sakanakusyon

昨日、今日と名古屋で稽古があり、あいちトリエンナーレを鑑賞してきました。

展示取り止めとなった「表現の不自由展」がどのようなものだったかは、実物をみていないのでなんとも言えません。メディアに露出している評論家やSNS上での発言を見ると、批判的な意見が多いですが、そうした発言をしている人たちのどれだけの人が実際に数日で展示取りやめとなった「表現の不自由展」を実際に鑑賞したのだろうかと思います。

「芸術」とよばれるものに関わる身として実際の展示を見ずにその作品を批判することの異常を感じずにはいられません。作品を実際に見ずに作品に傷つけられる人が一体どこにいるのだろうと思います。メディアやネット上での言論の脆弱を感じてしまいます。

津田大介氏は『Tweet&Shout ニュー・インディペンデントの時代が始まる』(スぺースシャワーブックス、2013)の中で、2ちゃんねるに代表されるBBSの匿名性による誹謗中傷などネガティブな問題について指摘し、2013年当時台頭しつつあったSNSの可能性をアーティスト側の戦略的なツールとして可能性を語っています。多くの人がSNSを利用し、様々な発言をするようになった昨今、その大衆性が脆弱な言論空間を作っているように思います。何か正義のようなものが生まれると、一次的な情報ソースにアクセスせずに右にならえで発言をしてしまう雰囲気を感じます。

それはさて置き、現代アートの展覧会を見て回ると、いいなあと思うものもあればなんじゃこりゃと思うものもありました。

十人十色様々な反応を期待し、アートとは何かということそのものを問うのが現代アートなのかもしれませんが、自分の中で腑に落ちるものと落ちないものの違いも意識することができました。

腑に落ちるもの・・・既成の問題に対してアート=技術を利用して建設的なテーゼをなげかけている。

賦に落ちないもの・・・テーゼが曖昧。イデオロギーを消費している或はイデオロギーに消費されている。

すべての作品を鑑賞できたわけではありませんが、特に興味深かったのがA13のヘザー・デューイ=ハグボーグの作品。商業あるいは学術利用のために許可なく誰かのDNAや細胞が搾取される問題に対して、ニューヨークで拾ったガムくずやポイ捨てされたタバコに残されたDNA情報から、持ち主の顔を3Dプリンターで再現するというものでした。

未だ多くは認知されてはいないけど、将来確実に問題になるであろう事象に3DプリンターやDNA解析など最先端のアート=技術を用いて問題提起しているところに、現代アートとしての存在感を感じました。

また、A12の伊藤ガビン氏による「モダンファート創刊号 特集没入感とアートあるいはプロジェクションマッピングへの異常な愛情」も体験してとても面白かったです。天井以外の5方を白い壁(床)に囲まれ、そこにプロジェクションマッピングがなされます。これまで建物や一面の壁になされるマッピングはみたことがありましたが、5方のマッピングとなるとVRにも似た体験をすることができました。いくつかの章にわかれていましたが、それぞれのテーマの関連していないようでしている具合がまさに芸術系の雑誌にありがちで、雑誌の中に体ごと没入したような感覚を覚えました。ユーモアも最高。

そんなこんなで展示を見ていると、チケット完売で諦めていたサカナクションのライブ「暗闇」の当日券発売の張り紙を発見。運よくチケットを手に入れ、鑑賞することができました。

公演パンフレットより・・・

『音楽は立体である。しかし、視覚はそれを見えないようにする霧だ』

音楽制作というトンネルをくぐる度、いつもこの言葉と対峙します。

しかしライブというドキュメントでは、その言葉は意味をなしません。

音だけでなく、演奏する姿、照明、映像、様々な演出が折り重なり、

一つのイメージを構築し、時代を切り取ることが

ライブの性質でもあるからです。

では、視覚情報を遮断したライブを行うとしたならば、

どのような体験になるのか。

(中略)

映像、言葉、匂い、会場の響き、完全な闇の中だからこそ体感できるライブを、

我々チームサカナクションがここ愛知県芸術劇場にて実践致します。

先日の《カルメン》公演で、改めてオペラ公演のビジュアル面の重要性を実感していた身としては、晴天の霹靂ともいえるアンチテーゼ。

日常生活で完全な暗闇を経験することは、ほとんど皆無です。

このライブは「暗闇」というタイトルの通り、ステージはおろか劇場内の光を皆無にした環境をスタート地点としていました。暗転の時間は長かったものの、途中映像や照明、匂いの演出もありました。

劇場が真っ暗闇になると、最初目は光を探しました。しかし、音が鳴り、ビートが響くと自然とそれもなくなりました。

やがて大音量で体に響くビートを感じると自然と身体が肉体の運動(ノリ)を欲求しました。そして自然と暗闇の中体を動かしていました。

言葉(歌)が入ると意味を欲求し、さらに断片的な映像があると物語を欲求しました。

人の情報入力は視覚が8割ともいわれますが、それを絶たれた時、無意識に何かを探し求めている自分に気づきます。しかし、感覚が他の拠り所を見つけると、そこから新たな欲求が生まれ、また他の拠り所を見つけると他の欲求が生じる、そんな感覚がありました。

暗闇は光

ビートは肉体運動

言葉は意味

日常の断片は物語

感覚はいつも何かを欲求している。そんなことを感じたライブでした。

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