2019. 11.16 富岡製糸場コンサート 終演

世界遺産の富岡製糸場首長館にてコンサート無事終演致しました。

プログラムは、フランスに縁のある140年前のアップライトのスタンウェイにちなんでフランスと日本をテーマにフォーレ、ラヴェル、橋本国彦、松平頼頼らの歌曲を取り上げました。

文明開化、殖産興業、富国強兵…。明治以降の音楽を学ぶ上でもよく耳にする言葉。

日本人はアジアでいち早く西洋に習い、また西洋への憧れを持ちながら国を発展させてきました。と、教科書的なストーリーを当たり前のものとしてきましたが、実際に富岡製糸場のスケールや一世紀以上前の工業機器を見ると、それらの技術が日本の経済に及ぼした変革の大きさに驚かされました。

富岡製糸場で一番最初に用いられた機械もフランス製とあれば、当時の日本人たちがフランス文化に抱いた憧憬も想像に難くありません。

時代は驚きや感動と共に動いている。そうしたことに肉薄できるのも芸術のもつ力なのかなと大それたことも考えてしまう本番でした。

スイス、バーゼルで歌曲伴奏でマスターを取得された須郷愛未(すごうあいみ)さんのピアノ。彼女はスイスでリートと日本歌曲の比較研究をされたそうです。

須郷さんとの演奏は稽古の時から刺激的で、改めて自分の中の「歌曲愛」に気付かされました。

地元の新聞に取り上げていただきました!

2019.11.4 松江プラバ少年少女合唱隊定期演奏会2019 終演

客演させていただいた「松江プラバ少年少女合唱隊定期演奏会2019」、無事終演いたしました。私はミュージカル《ライオンキング》のムファサ役を務めさせていただきました。私以外の役はすべて子どもたち(幼児〜高校生)が務めています。松江プラバ少年少女合唱隊は、毎年の定期演奏会でミュージカルを上演しており、私もこれまで《サウンドオブミュージック》のトラップ大佐役を含めて学生時代から四度共演させて頂いてきました。今回五度目の共演。幸せです。末っ子グレーテルを演じていた子が中学三年生に、高校生の時に共演した子が芸大大学院に合格したりと、みんなの健やかな成長に何とも言えない喜びを感じつつ、私自身は直前の2日間からの合流でしたが、笑顔の絶えない稽古場で、子どもたちは歌うこと、表現することが楽しくてしょうがない様子。幼児から高校生まで在籍し、普段はリトミック・小学生・中高生とグループがありますが、本番の際には学校や学年を超えて、小さい子はお兄さんお姉さんに憧れを持ち、また年長の子は年下の子たちを見守る雰囲気もこの団にとってはごく自然なことのようです。中高生ともなると、主要キャストでありながら、自ら率先して影棒を振り、また舞台全体を把握しつつ小さい子たちが無事に舞台に乗れるように導いてあげるという、プロの舞台人顔負けの視野の広さをもちつつ仕事をやってのけます。私は客演の身でありながら、指導するなんておこがましく、合唱隊の一員になったつもりで本番を迎えました。そして、このプラバ少年少女合唱隊は、今年度イタリアで開催されたセギッツィ国際合唱コンクールで見事入賞の快挙を遂げられました。少年少女合唱団は、環境や指導者を良い酵母として、団員の子どもたちが醸成していく場であることに気付かされました。美味しく発酵、継ぎ足し継ぎ足し…。島根の尊敬する合唱団です。

SiriuS始動

10月18日に沢山の方々に支えられてSiriuSのプレライブを終え、いよいよ活動が始動しました。

TwitterInstagramFacebookに加えて日本コロムビアホームページ内にSiriuS特設サイトが開設されました。

SNS、特設サイトにて情報を発信して参りますのでフォロー&チェックの程よろしくお願い致します。

https://twitter.com/SiriuS_SingS?s=06

https://instagram.com/sirius_sings?igshid=1468s1ehu1i7

https://m.facebook.com/profile.php?id=104048154311818&ref=content_filter

https://columbia.jp/artist-info/sirius/

合唱団さきたま「バッハとブルックナー」終演 Bel Canto×Bach

無事終演いたしました。

最近のマイブームはYouTubeのチャンネル「This is opera」 。学生時代の師匠ピリウッチ先生はスカラ座などでも活躍されたバス歌手で、今では廃れつつある録音時代以前のベルカントの技術をとても大切に、じっくり時間をかけて教えてくださいました。私自身が学生時代にその技術を体得できたかというと答えは否です。

しかし今、色々なジャンルの歌にアプローチさせていただくなか、その時の教えの普遍性、合理性に気付かされています。

「声のチェンジは意図的に作るものではなく、自然と為るもの」「赤ちゃんの鳴き声のような声」「舌と口蓋の距離は2mm」…

Enrico Caruso、Benimiano Gigli、Mattia Battistini、Tita Ruffo、Cornel Mac’neil etc

彼らの輝かしい声の秘密はなんなんだろう…

この疑問に立ち返りながら、今抱えている作品たちと向かい合っています。

バッハの音楽はとても器楽的でありながら言語的。よい声楽技術に支えられながらテキストにアプローチした時にバッハが少しだけこちらを振り向いてくれたような感覚を経験しました。

サントリー地域文化賞

昨日9/27、滝廉太郎記念全日本高等学校声楽コンクール出場者として、また水害にあった大分県竹田市の音楽ホール再建に向けたチャリティコンサートシリーズkonzet KOJO出演者として、サントリー地域文科賞を受賞した大分県竹田市「滝廉太郎記念音楽祭」の受賞記念パーティーに出席しました。
竹田市は滝廉太郎が幼少期を過ごし、荒城の月のモチーフになった岡城址のふもとにある風情ある町。地元のお菓子屋さんや素晴らしい商工会の若者たちをはじめ、地域の皆さんが地域の歴史や文化を守っています。
被災した音楽ホールもグランツ竹田として立派に生まれ変わりました。
私もこれまで竹田市では節目節目で歌わせて頂き、第二の故郷のような町です。他に受賞したのは函館西部地区バル街
上三原田(かみみはらだ)歌舞伎舞台操作伝承委員会
冨田(とんだ)人形共遊団
高千穂の神楽地域の人々に支えられた文化のもつパワーを感じました。
受賞された皆様、おめでとうございます!!!

2019.9.28 バッハとブルックナー

9月28日(土)合唱団さきたまの演奏会にソリストとして出演いたします。

ブルックナーの《レクイエム》と「死」テーマとするバッハのカンタータ4番及び150番。

身近な人の死から感じるのは、その人の生が僕に与えてくれた意味。

聖書の物語では、イエスの死が私たちに様々なメッセージを伝えてくれます。

慌ただしい日々が続いていますが、死について、少し落ち着いた気持ちで考えながら、今週末を迎えたいと思います。

 

J.S.バッハ《カンタータ4番 BWV4》

《カンタータ150番 BWV150》

A.ブルックナー《レクイエムニ短調 WAB39》

指揮 岡本俊久

ソプラノ:中江早希

アルト:山下未紗

テノール:渡辺大

バリトン:田中俊太郎

管弦楽:アンサンブル・アルス・ノヴァ

オルガン:梅干野安未

入場料:2500円

狭山市市民会館大ホールにて14時開演です。

20190629

2019.10.18 SiriuS Prelive~Beginning Place~

2019年10月18日(18:30open 19:30start) 渋谷イープラスリビングルームカフェ&ダイニングにてSirius Prelive~Beginning Place~に出演いたします。

チケット一般発売は9月14日12:00からになりますが、先行して告知させて頂きます。

【日時】
10月18日(金)
open 18:30 start 19:30

【料金】
前売 全席指定 \3,000(税込、飲食代1フード1ドリンク別途)
当日 全席指定 \3,500(税込、飲食代1フード1ドリンク別途)

【出演】
Sirius(シリウス) 大田翔・田中俊太郎

チケットのお求めはイープラスまで!

ここからはじまるSiriuS

スタート地点です

シングインメサイア 終演

シングインメサイア、無事終演しました。

今回はエリザベスサンダースホームへのチャリティを目的とした公演でしたが、開演前の舞台袖で安田祥子さんと再会することができました。
安田さんとは、川崎童謡の会、海の見えるホール、H.ヴォルフ《イタリア歌曲集》、ヘンデル《メサイア》と様々な音楽を通じてのご縁があります。偉大な先輩(というのもおこがましい…)との再会に、只々感謝の気持ちで本番を迎えました。
今回の指揮者は芸大学部の同期、新見準平(バリトン)くん。今は大分と東京を拠点に演奏、教育、合唱・オーケストラの指揮と活躍をしています。15年来の友人の立派な指揮姿に胸を熱くしつつ、とても楽しい本番を過ごしました。
《メサイア》は演奏していて最も楽しめる作品の一つですが、今回始めて客席のお客様も一緒に歌うシングインを経験させて頂き、さらにこの作品の魅力を感じました。
世にオラトリオ多しといえども、お客様が言葉を持ち、声を持ち、音を持って、劇場が成立する作品はなかなか無いのではないでしょうか。
《メサイア》はそれだけ、物語を共有する力をその音楽に秘めている。そんなことを感じた本番でした。

また、歌いたいです!!!

2019.8.24 シングインメサイア

明日、調布市文化会館たづくりくすのきホールにてヘンデル《メサイア》バスソロを担当させて頂きます。このシングインの文化はイギリスで発祥し、会場のお客様とステージが一緒に演奏するスタイルです。日本では、1万人の第九などがありますが、明日は《メサイア》。私自身も最も楽しめる作品の一つです。只今、絶賛リハーサル中。明日、沢山の皆様とこのホールをヘンデルの音楽で満たすことが楽しみです!オリジナルポロシャツ!

唱歌・童謡ものがたり(戦前)

初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす

万葉集巻五、梅花の歌三十二首の序文の一節である。新元号「令和」。日本の古典が元号の出典となるのは画期的なことであるといわれている。典拠となったのは8世紀の歌人大伴旅人を中心とする梅花の宴の序文。正月に仲間を館(官舎)に招いての歌会で、梅をめでながら宴を楽しんでいる心情を詠んだものである。日本人は古来から、宮廷では歌会をたしなみ、また庶民は歌垣によって逢引し、生命を育んできた。日本人の生活と歌とはとても近い関係にある。

和歌をはじめとする日本の歌は、本歌取りに代表されるように、古き歌を知って新しい創作に生かすことを美としている。唱歌・童謡を創作した初期の詩人には江戸時代からの流れを汲む国学者も多く、一例をあげると、武島羽衣は瀧廉太郎作曲の〈花〉の作詞の際、『源氏物語』胡蝶の巻の「春の日のうららにさしていく船は棹のしずくも花と散りける(『源氏物語』胡蝶の巻)」をもととして創作を行った。

若者たちからすると、唱歌・童謡はおじいいちゃん、おばあちゃん世代が歌ってくれる昔風の親しみのない歌というイメージもあるのかもしれない。しかし、文部科学省が発行する音楽科の学習指導要領をみてみると、現在、小学校では文部省唱歌が全学年を通じて17曲取り上げられ、中学校では「我が国で長く歌われ親しまれている歌曲」として〈早春賦〉〈夏の思い出〉〈赤とんぼ〉〈浜辺の歌〉など7曲が取り上げられている。

私は、現在都内の中学校で非常勤講師の職を得ているが、先にあげた瀧廉太郎〈花〉などは、歌詞の古めかしさが障壁になることもなく、音楽の躍動感に合わせて楽しそうに歌う子供たちの姿にはっと驚かされる。古い歌の普遍的な魅力を楽しむ日本人の感性がそこにもあると思う。

温故知新——月並みではあるが、日本人の歌の創作の在り方、歌の楽しみ方を思うとき、この言葉を実感する。

 

 

「唱歌」の言葉は明治以前からあった。平安時代以降、雅楽において器楽の譜を声で歌うことを「唱歌(ショーガ)」と呼んでいる。また、室町時代末期から江戸時代にかけては短い歌曲のことを同じく「唱歌(ショーガ)」と呼んでいた。

1972年(明治5年)の学制頒布において、欧米の教育制度にならいSchool Musicという意味での「唱歌(ショーカ)」が設定されたが、学制「下等小学教科」中には「唱歌当分之ヲ欠ク」と記され、当初は科目として設定されたものの、実施はされていなかった。欧米にならった唱歌教育の方法が確立されておらず、またその技術を持つ教師もいなかったからである。そのような状況を打開すべく1879年(明治12年)10月に文部省音楽取調掛(東京藝術大学音楽学部の前身)が設立された。アメリカ留学の際に音楽を学んだ伊沢(いさわ)修(しゅう)二(じ)がボストンの音楽教育家ルーサー・ホワイティング・メ―ソン(1828-1896)を御雇教師に招聘し、また宮内省雅楽寮の上(うえ)真(さね)行(みち)、奥(おく)好義(よしいさ)、辻則承(つじのりつぐ)、芝(しば)葛(ふじ)鎮(つね)らが助教となった。伊沢は「東西二洋の音楽を折衷して新曲を作ること」、「将来国楽を興すべき人物を要請すること」という理想を掲げた。

続いて世は——「板垣死すとも自由は死せず」——自由民権運動の時代となる。自由民権運動・欧化思想と国粋主義の対立、政治的対立(主権在君、主権在民、主権在国会)や思想的混乱。朝鮮出兵(1884)、明治憲法制定(1889)、国会開設(1890)などもこの時期にあたる。学制頒布以降、小中学校の教科書は、文部省が出版したものと、民間で出版されたものを文部省が調査して適当と思われるものを地方長官が任意に採択したもとの2種類があったが。しかし、この時期の社会的混乱に対応して国は1886年(明治19年)4月に小学校令を公布し、文部省が直接統制できる形の教科書検定制度を確立した。

20世紀をむかえると、日本語に改革が起きる。言文一致運動である。話し言葉と書き言葉を一致させようという文学者たちの改革運動であり、先駆者の二葉亭四迷(ふたばていしめい)は代表作『浮雲』の創作において、落語家の語りを速記したといわれている。すでに1892年(明治25年)伊沢修二編『小学唱歌』において言文一致唱歌の出現がみられるが、最も功績を残したのは田村(たむら)虎蔵(とらぞう)である。子供には、子供の言葉で、子供の生活感情に合った唱歌を与えなければならないというのが彼の主張であり、これは後の三木露風、北原白秋、野口雨情らの詩人や山田耕筰らの作曲家の童謡観と相通ずるものである。

1910年(明治43年)から1935年(昭和10年)にかけては、文部省唱歌が創作された時代である。1902年(明治35年)の教科書疑獄事件(教科書会社と教科書採用担当者との間での収賄事件)があり、これに処する形で1903年(明治36年)政府は教科書国定の方針を確立した。国定とは、編集、発行などの権限を政府が持つことである。当初は全教科でこれを実施したのではなく、修身、日本歴史、地理、国語読本を国定とし、書方手本、算術、図画は文部省で教科書を出版したが、唱歌をふくむそれ以外の科目については小学校令(1886年)の内容、つまり文部省による教科書検定制度が継続して適応された。1910年になると、書方手本、算術、図画と同じく、国定ではないが文部省編纂による唱歌集が発行されはじめる。1910年から1935年まで、4回にわたり唱歌集が発行されたが、これがいわゆる「文部省唱歌」である。文部省唱歌創作には、東京音楽学校を中心とする一派の人々が、田村虎蔵一派の言文一致唱歌を「唱歌の気品を害する」として批判し、「気品の高い唱歌」を作ろうという理念も込められていた。また、教科書国定の議論を背景として、国民思想統一の一役も期待されていた。

日本軍が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が開戦した1941年(昭和16年)、国民学校令が実施されると、唱歌を含めたすべての教科書は国定に統一され、それ以外のものを教科書で使うことはできなくなった。国民学校の音楽教科書では文部省唱歌の一部のほか、祝日大祭日唱歌(君が代、勅語奉答、一月一日、原始祭、紀元節、神嘗祭、天長節、新嘗祭)の曲目が取り上げられた。

以上、戦前の唱歌創作の概観である。こうした戦前の唱歌の歴史の流れをふまえて、童謡の歴史も概観したい。

 

初期の文部省唱歌集『尋常小学唱歌』が刊行し終わった大正初期(1910年代前半)から、教育界全体に自由主義の主張がなされるようになった。また、一方で20世紀初頭にドイツで起こった芸術教育思潮が紹介されて依頼、小学校の文芸・美術・音楽等の芸術教育方面に活発な運動が展開されるようになった。このような子供の関心・感動を中心とした教育運動、その一つとして現れたのが童謡の流行であった。

童謡運動の作品発表は、主に子供向けの雑誌上で行われた。そうした雑誌は、『子供之友』『少女号』『赤い鳥』『金の船』『童話』『コドモノクニ』と枚挙にいとまがないが、これらの多くは新作の童謡とその楽譜や挿絵つきの児童文学作品を掲載した。一冊で、音楽、絵画、文学を楽しむことができる子どものための総合芸術雑誌ということができ、知識階級の家庭や自由教育の学校教室に受け入れられていった。

鈴木(すずき)三重(みえ)吉(きち)が主宰し、1918年(大正7年)に童話と童謡を創作する最初の文学運動として創刊された『赤い鳥』の存在は大きい。鈴木は唱歌の歌詞が教化的文語脈の生硬で非芸術的なものであったのに対して、児童性を尊重した口語脈の芸術的な歌を民間の詩人の手で作りだすことを目的とした。北原白秋、西条八十、三木露風らも『赤い鳥』誌上で童謡を発表し、その後の創作のきっかけとなった。

当時の詩壇にみられる二種類の文学的背景をふまえておくことは、童謡を読む際の一助になると考えられるのでここに紹介しておきたい。一つは上田敏『海潮音』(1905年)や永井荷風『珊瑚集』(1913年)等の西欧詩の移植導入がもたらした象徴詩調の系譜であり、北原白秋、三木露風、西条八十などがこれにあたる。もう一つは、西欧詩の移入に対して日本古来の感情の表現を目指した民謡詩の系譜で野口雨情や島木赤彦らがいる。

両者に共通しているのは、それまでの固い学校唱歌の内容とは明らかな違いをなしていることである。象徴詩一派は近代生活の中でのこどもたちの感情を表現し、民謡詩一派は伝統的な自然の中で感傷世界を歌っている。三木露風は「童謡をつくることも自分をうたうことであり、天真のみずみずしい感覚と想像とを易しい言葉で歌う詩である。」といい、また野口雨情は「(童謡は)永遠に滅びない児童性をもっているもので、大人の胸にも子供の頃の懐かしい心持がわいてくるべきもので、しかも言葉の調子が音楽的にも優れていて、歌い踊れるものがまことの童謡だ。」と語っている。彼らは感性や感動、音楽的な体験を一義として創作をしていることがわかる。

これらの童謡創作のきっかけが、ドイツの芸術教育思潮を含む、20世紀初頭の新自由主義教育を背景としているのはとても興味深い。というのは、こうした童謡創作の歴史が日本のいわゆる「芸術歌曲」創作の流れと接点をもっていたからである。

山田耕筰は、童謡について以下のような見解を持っていた。

 

童謡には二つのあらはれがあります。その一つは芸術的童謡で、他の一つは遊戯的童謡とでも呼ぶべきものであります。芸術的童謡とは、大人が直観した——或ひは大人の内部に潜在してゐた童心が、自発的に流れ出て歌となつたものであります。遊戯的童謡は之に反して、児童の表面に浮動してゐる戯心を、大人が自己流の鏡に反射したものにすぎません。

(山田耕筰「童謡の作曲に就いて」『詩と音楽』)

 

「芸術的童謡」は、大人の立場から童心を回帰して生まれてくるものだという。たしかに三木露風作詞の〈赤とんぼ〉などは、子供の頃の記憶を思い出した大人の立場からの詩であると読むこともできる。また、山田の歌曲には、〈かやの木山の〉のように出版譜によってある時は「童謡」と分類され、またある時は「歌謡」と分類されたりするものがある。山田にとって、「童謡」と「歌曲(歌謡)」との区別は創作年代によって揺れ動き、明確なものではなかった。

 

【主な参考文献】

与田準一「解説」『日本童謡集』  東京:岩波文庫、1957年12月。

堀内敬三・井上武士「解説」『日本唱歌集』 東京:岩波文庫、1958年12月。

小島美子『日本童謡音楽史』 東京:第一書房、2004年10月。

山田耕筰「童謡の作曲に就いて」『詩と音楽』 東京:アルス、1922年11月。

池田小百合氏による童謡に関するサイト

http://www.ne.jp/asahi/sayuri/home/index.htm〉2019年8月18日アクセス