本日、東京芸術大学大学院音楽研究科博士後期課程の学位授与式があり、博士(音楽)の学位を得ることができました。
音楽を志す前から、知りたい、学びたいという欲求を120%満たしてくれ、手を伸ばせばいつでも新しい真理に触れられる大学という場に憧れを抱いていました。そういうこともあり、博士課程への進学は夢の一つでした。こうした場で時間を過ごすチャンスを与えてくれた家族や、不出来な生徒を最後まで指導して下さった先生方には、今の僕がどれだけ感謝をしたところで、ご恩に報いきることはできません。
本日、私がいただいた学位は「音楽」です(「音楽学」ではなく)。演奏科の博士号である以上、演奏と研究の両立が求められます。そしてこれに心の底から悩みました。
演奏と研究は、水と油、相容れないものだと思います。心震える芸術体験に、学究的な物事を思考する余地はありません。
ならば、なぜ演奏科の学生が大学で研究するのか---
正直申し上げて、その答えを見出すことはできませんでした。迷って、悩んで、んーー(考える人ポーズ)、という感じで博士課程を終えました。
それでも、今日の日を迎えて、これまでの時間は有益だったと思いました。ここにいなければ、悩むことなくまっすぐに突き進んでいたかもしれません。
ロダンの大作《地獄の門》の上の方に、通称「考える人」像があります。ロダンは、ダンテの『神曲』等をモチーフとしてこの作品を制作しました。この大作中では本来、「考える人」は何かを考えているというより、目下の地獄を覗き込んでいるそうです。いわば「見る人」です。ロダンは後にこの像を《地獄の門》から切り離して単独で《詩人》と題して発表しました。ロダンはこの像を《詩想を練るダンテ》とも呼んでいたそうです。
この像は、《地獄の門》の作品中、地獄から一つ隔たれた場所にいます。ロダンは、想像の中の地獄から詩を紡ぎだそうと試行錯誤するダンテの姿を現そうとしたのかもしれません。
何かを見つめて、んーー、と考え込むこと。そしてその時間。これは何かを産み出す一歩手前なのだと思います。
駅を降りれば「考える人」像が出迎えてくれた上野の地を学び舎とする生活を終え、ここから新しいスタート。素晴らしい音楽や舞台に沢山触れていけるよう、邁進していきたいと思います。