11月24日、聖ステパノ学園「海のみえるホール」における「晩秋のコンサート」に出演させていただきます。(ベートーヴェンと橋本國彦の歌曲を歌います!)
翌週12月1日(18時開演)には旗の台の三光教会において、私が指揮する合唱団の「クリスマス・チャリティーコンサート(エリザベス・サンダース・ホームのため)」を予定しています。
偶然にも、エリザベス・サンダース・ホームさんと関わりのある演奏会が続きますので、同ホーム及び沢田美喜について書かせていただきたいとと思います。
聖ステパノ学園の前身であるエリザベス・サンダース・ホームは、第二次世界大戦に駐留したアメリカ軍人との間の混血児たちを養護するために、三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の孫娘沢田美喜によって1948年に設立されました。山田耕筰をバックアップし、また戦前の交響楽運動の立役者としても活躍した岩崎小弥太は弥太郎の甥でしたが、一族として日本の音楽史とのつながりも感じます。
恥ずかしながら同ホームを知るまでは、日本にも戦争孤児がいたという事実を知らずにいました。ミュージカル《ミス・サイゴン》にあるような孤児たちの人生が日本にもあったという事実、また戦争とはかかわりがないとしても、孤児となってしまった子供たちのことについて考えさせられます。
孤児たちの成長に合わせて、沢田が1953年に設立したのが聖ステパノ学園です。
沢田は、クリスチャンでもあった外交官廉三と結婚すると、自らもキリスト教に改宗。夫の仕事で各国を転々としますが、イギリスで孤児院ドクター・バーナードス・ホームを訪問し創設者の「捨てられた子をひっぱりだこになるような人間にするのは素晴らしい事だ」という言葉に感銘を受けます。
その後も各地を転々とする中、パリではマリー・ローランサンに絵を師事し、ニューヨークではパール・サイデンストリッカー・バックと知り合うなど、多彩な人脈を作ってゆきます。
自身がエリザベス・サンダース・ホームの設立を目指す際には、ニューヨークでグレース・ケリーと出会い、以降ケリーがモナコ王妃になった後も彼女からの支援は続きました。聖ステパノ学園設立後1955年には昭和天皇・皇后両陛下のご訪園も受けています。
沢田がキリスト教的な愛に満ちたとても行動力のある人間であったことをうかがい知ることができます。
「海の見えるホール」は、舞台の後ろに太平洋を望むとても眺めの良いホールです。ホールそばには、隠れキリシタン資料の収集家であり、混血孤児の支援家でもあった澤田美喜記念館もあり、足跡をたどることができます。
11月24日、聖ステパノ学園「海の見えるホール」でのコンサート、私はソロ曲として、ベートーヴェンの歌曲《Adelaide》《Neue Liebe, neues Leben 》《Der kuss》そして橋本國彦《薊の花》を演奏致します。
チケット残券ございますので、11月24日「晩秋のコンサート」、是非みなさまにいらしていただけると嬉しいです!!
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